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ferme & miryuu

地震当日 3月11日 14:46

少し休憩し、再度避難者名簿の確認をしようとPCを開けましたが まだアクセス集中でHPを開けません。。。
SNSにも新しい情報はありません。
そんなに寝てもいないのに、まったく眠くないので この日を忘れないように地震当日のことを書いておこうと思います。



2011.3.11 14:46pm

この時、私は東京千代田区の自分の会社にいました。
新人スタッフのフォローのため、自席を離れて別の椅子に座っていました。
すると部長が、
『 miryuu 、今日何時くらいまで会社にいる? ちょっと相談したい案件があるんだけど 』 と話しかけてきました。
連日勤務がずっと続いていたので、今日は残業はしたくないな・・・と思い、『 17時までなら大丈夫です 』 と答えました。

その後すぐ、座っている自分がなんとなくふわふわしている感じがして、わたし、きっと勤務が続いて疲れているんだろうなあ~
よし、今日は上司からの振られ仕事は簡単に引き受けないで早く帰ってゆっくり休もう・・・と思いました。
が、ふわふわは段々と確実な縦揺れとなり、この時初めて「地震だ」と確信しました。

ゴゴゴゴゴ・・・・・・という長い縦揺れのあと、その後はもっともっと長くて激しい横揺れ。
オフィスはビルの12階にあるので、余計に横揺れしたんだと思います。
はっと周囲を見渡すと、さっきまでいたスタッフたちがいない! 立っていたのは私だけで
スタッフは皆、机の下に潜っていました。

デスクの物が床に落ち、PCはHDDが開き、空間が揺れているのが目視できるほど揺れました。
後から聞くとこの揺れは5分ほど続いていたようで、本当に長い長い揺れでした。
その後もまた強い揺れがあり、スタッフたちは何度も机の下に避難を繰り返します。
社内がもう大パニックとなっていました。

強い揺れが少し収まり、ニュースを見ようと皆で休憩室のテレビをつけると ものすごい光景が写っていました。
仙台の津波の映像です。田畑をどんどん飲み込んでいく津波映像は衝撃でした。
が、その瞬間、我が実家と三陸の沿岸地域に住む伯父たちは大丈夫だろうかと我に帰りました。

時間帯が、ちょうど東京にいる姉と甥っ子のプレスクールの時間帯で、姉のことも心配になり
ひたすら姉と実家と伯父たちの電話番号を繰り返し順番にかけ続けました。
もちろんつながりません。
1時間ほどそれを繰り返していると、ようやく16時すぎに姉の携帯とつながりました。
姉は甥っ子を連れてプレスクールに向かう途中に地震にあったようですが、奇跡的にも
その日は旦那さんが送ってくれていたおかげで、無事に家路に着けたようです。

このタイミングで姉に電話がつながったとなると、もしかしたら会社から実家の電話を鳴らし続けたほうが
実家の両親と早く連絡が取れるだろうか・・・と一瞬思ったものの、家にはフェルメがいるので。。
1人で待っているフェルメのことを思うと、やはり私は何がなんでも今日中に家に帰らねばと思いました。

すべての電車が止まっていたのですが、同僚が息子さんを迎えに横浜の先まで歩いて帰る!!!
と決心を決めたようで、ならば途中まででもできるだけ近道を案内したいし、私も同僚と一緒のほうが安心だし・・・
と思い、私も家まで歩いて帰ることを決めました。

途中、タクシーがつかまったらタクシーで・・・と思った我々の考えは甘すぎて、会社を出ると同時に
道には人、人、人・・・・・・ 一体どこからこんなに出てきたのかというくらいの人波が道に溢れ・・・
こんな光景は、人生で初めてでした。
この時、16:30 くらいでした。

同僚と道中励ましあいながら、途中トイレに寄ったり、飲み物を飲んだりして糖分を補いながら
道を進みました。普段ならこんな道を歩くなんて気が遠くなりますが、家で震えているであろう
フェルメのことを考えるとやる気が湧いてくるのと、周囲にも同じ方向に歩く大勢の人波につられて
気が付くとあっという間に港区でした。 途中お店に寄ったりもしたので、2時間半くらいでした。

その日のお昼間、ランチの時間にその同僚とおいしい中華料理を食べながら、
あーでもない、こーでもないねー・・と話しつつ、楽しい時間を過ごしたことをふと思い出しました。
たった数時間前の自分は、同じ日にこんなことに見舞われることなど予想だにせずにで、、、
当たり前のごくごく普通の日常のありがたさが身に染みて涙が出ました。。



家に着いて玄関を開けると・・・・・・ 思わず息を呑みました。
うちは玄関に宅配の水タンクを設置しているのですが、それが横に倒れており玄関に入れません。
奥を覗くと、冷蔵庫がなぎ倒しになっており、冷蔵庫の上に置いていた電子レンジも転落し廊下をふさいで・・・
倒れた冷蔵庫と、電子レンジの隙間から、フェルメがちいさい顔を覗かせて、くーん・・・と鳴いてくれました。

ですが、まずはこの水タンクと冷蔵庫を直さないとフェルメのところまで行けません。
ここは火事場の馬鹿力を発揮し、タンクと冷蔵庫を立たせて、ようやくフェルメと再会できました。
部屋に入るとさらにショックな光景が。
壁に沿ってシェルフ棚を置いているのですが、それがなぜか部屋のど真ん中に・・・
なぜかというと、足がキャスター足になっているタイプのシェルフなので、そのまま揺れとともに
部屋の真ん中まで転がってきたようです。。。 でも、逆にそれでよかったです。
倒れてフェルメが棚の下敷きになったりしたら大変でした。
もちろん、棚の物はすべて床に散乱です。

我が家は高層階なので、免震構造で横揺れが普通の建物よりもすごいのです。
部屋全体が大きく横に揺さぶられたのだな、と感じました。

フェルメは、部屋からキッチンに向かう廊下が冷蔵庫の転倒により塞がれてしまったので
トイレに行けなくなり・・・ でも、ひたすらトイレも我慢してじっと待っていてくれたようです。

その後は両親たちに連絡もつかず、ショックと疲れで何もする気力がなく・・・・・・
とりあえずまた大きな地震が来るかもしれないので室外に逃げる道分だけ確保して、片付けはあきらめました。
その夜も余震が頻繁で、結局ほとんど眠れませんでした。

地震当日は、仙台の津波被害の映像ばかりでした。
仙台と三陸はかなり離れているので、一番被害が大きかったのは仙台だったんだ・・・と思っていました。
しかし、翌日になって、岩手の三陸地域の津波映像が次々報道されるようになり・・・・・・
三陸は母の実家ですが、小さい頃大好きな伯父に連れてもらって遊んだ海や町が
ものすごい勢いの津波にあっという間に飲みこまれていく光景は言い表せないほどのショックでした。。。

正直なところ、その映像を見るまでは、伯父たちも強運の持ち主なのできっと大丈夫だろう・・・
とどこかで楽観的に思っている自分がいたんです。 
ですが、さすがにあの光景を見てしまうと、もしかしたら・・・という危機感を感じました。

***

そして今日は5日目です。

伯父はまだ見つかりませんが、自衛隊の方々や 各国の救助隊の方々が続々と現地に入ってくださっています。
被災地への義援金や飲料水などを提供してくださるなど、支援の輪が広がってきています。。
本当にありがたいです。

被災地では、食糧や水の不足、避難スペースの狭さなどからそろそろ疲労感が出てくる頃と思います。
寒い、食べれない、飲めない、休めない・・・ では、1日を乗り切るのが辛いことだと思います。
どれかひとつでも、できるだけ早く解消されてほしいです。。。

by miryuu_farm | 2011-03-15 23:05
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